「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」

古文

現代語訳

「田子の浦に出てみると、富士山の高い山の頂上には雪が降っている」という意味になります。

作者

山部赤人(やまべのあかひと)

山部赤人は奈良時代の歌人で、724年(神亀1年)から736年(天平8年)までの期間に活躍したとされています。彼は、久米氏の一族である久味国造の後裔であり、職業部の一つである山部の伴造家の出身です。山部氏は、顕宗・仁賢両天皇の受難時代に奉仕した功により、伊豫来目部小楯を授けられたことが知られています。山部赤人が制作した歌のうち、作品の制作年代が明らかなものは、この期間に限られています。また、山部赤人像が蜷川式胤の所蔵品として知られていますが、その経歴は定かではないとされています。

この句が作られた背景

この歌の背景についてははっきりとは分かっていませんが、一説には山部赤人が東国(現在の関東地方)を旅していた際に、駿河湾の富士山を見た際に詠んだとされています。また、富士山が古くから信仰の対象とされ、美しい風景としても知られていたことから、この歌が作られた可能性もあります。

単語

【田子の浦に】:田子の浦とは、静岡県富士市にある海岸の名称です。ただし、現在の田子の浦は、史料に基づくところによれば、古い時代には現在の富士市とは異なる場所にあったとされており、富士市の田子の浦とは必ずしも一致しない可能性があるという指摘もあります。古い時代の場合、現在の静岡県静岡市清水区の由比・蒲原あたりまでの海岸を指すとされています

【うち出(い)でてみれば】:

  • うち: 副詞 「自分がいる場所(内側)から」という意味合いがあります。
  • 出でて: 動詞「出でる」の連用形 「外に出る」という意味があります。この場合は、「うち」から「外に出てみると」という意味になります。
  • みれば: 動詞「見る」の仮定形 已然形+「ば」で「~してみると」という意味になるので、「外に出てみると」という意味になります。

【白妙(しろたへ)の】:”しろたへの “には、文脈によって複数の意味があります。楮の繊維から作られる布や衣類の一種を指すこともあり、「白い麻」「白い絹」と訳されることもある。また、万葉集の歌の一節を指すこともあり、恋人たちが一夜を共にした後、秋風に吹かれて涙や露が落ちる別れを表現している。さらに、「しろたえの」は日本の地名でもある。また、枕詞の一つでもあります。枕詞とは、和歌や俳句などで頻繁に使われる、特定の語句の前に付けられる定型的な言葉のことを指します。【白妙の】は、白栲(しろたえ)という布を用いて衣服を作ることから、衣服に関する語「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「帯」「紐(ひも)」「たすき」などにかかる枕詞として使われます。このように、枕詞は文学の表現技法として用いられることがあります

【富士の高嶺に】:さまざまな意味や使い方があります。富士山の高嶺や周辺の山々を指すこともあれば、日本の伝統的な詩の中で、高尚で到達できないものの比喩表現として登場することもあります。正確な解釈は、それが使用される文脈に依存することができます。

【雪は降りつつ】:雪が降り続いている様子を表すものであり、日本の冬の景色や、雪国での生活などを連想させる表現としても知られています。百人一首の15番にあたる光孝天皇の歌「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」にも同様に使われています。

まとめ

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」という歌は、山辺赤人が詠んだ和歌の一つであり、百人一首にも収録されています。

この歌は、田子の浦から富士山を見たときの美しさを表現しています。歌の冒頭で、「田子の浦に うち出でてみれば」と歌われているように、歌人が田子の浦から富士山を眺めた様子が描かれています。そして、富士山の高嶺には雪が降りつつある様子が、「白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」という表現で表現されています。

この歌は、詩的な美しさと景色の描写によって知られています。歌人が感じた美しい自然の姿が、そのまま和歌に込められています。

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