雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして、集まり候ふに、
「雪のいと高う降りたるを」という句の意味は、「とてもたくさんの雪が降っている」という意味です。また、「例ならず」という表現は、「普段と違う様子であること」を表し、「御格子参りて」という表現は、「御格子をお下げすること」を意味します。これは、普段は立派な御格子を掛けている家の窓を下げ、外の景色を見るためにしたものです。さらに、「炭櫃に火おこして」という表現は、女性たちが火を起こして暖をとりながら物語を語り合っている様子を描写しています。
※「炭櫃」とは、床を切って作った四角い炉のことで、いろりや角火鉢とも呼ばれます。日本の昔ながらの家屋には、炭櫃があることが多く、寒い季節には火を入れて部屋を温めたり、調理に使ったりしていました。
「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ。」と、仰せらるれば、
「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ。」と、仰せられると。この一節は、中宮定子が清少納言に向かって、「香炉峰の雪はどうであろうか」と問いかけた場面を描いています。『枕草子』のこの箇所は、雪が降る中で友人たちが集い、物語や歌を語り合う情景を描写しています。
「いかならむ」という言葉は、「いかがであろうか」という意味で、尊敬語を含む古い言い回しです。また、この一節の「少納言」とは、作者自身が自分のことを指しているとされています。
※中宮定子とは、平安時代に存在した藤原道隆の娘で、後に後三条天皇の中宮になった女性です。[1] 中宮とは、天皇の正妃のことを指します。定子は、容姿や教養に優れた才女で、清少納言を家庭教師として登用するなど、文化的な活動にも関わりました。[3] 彼女の父親である道隆は、関白として天皇の政務を支える立場にあったため、中宮定子も政治的な影響力を持っていたと考えられます。[2] 定子は、他にも多数の女房たちを仕えさせており、清少納言や紫式部とともに宮廷文化の発展に貢献した人物の一人です。[4]
※香炉峰(こうろほう)とは、中国江西省九江市にある廬山(ろざん)の北峰のことを指します。この峰の名前は、頂上部分が香炉の形に似ていることからきています。廬山は中国を代表する観光地の一つであり、香炉峰はその中でも代表的な観光スポットです[1]。白居易の詩「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」という有名な詩句があります[3]。一方、中国の詩人李白は「南香炉峰」という峰について詠んでおり、一般に廬山の香炉峰は南を指すことが多いようです[4]。
御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。
中宮が香炉峰の雪の様子を尋ねた時、清少納言は他の女官に命じて御格子を上げさせ、御簾を高く上げると、中宮定子が笑って喜ばれたというエピソードです。この言葉は、清少納言が中宮に対して、さりげなく自分の才能を示すために言ったものだとも言われています。また、中宮の反応から、清少納言の言葉巧みな才能がうかがえます。
※
御格子は柵のようなもので、貴族や公家の住居の部屋や庭園などに設置され、外から中を覗けるようになっています。一方、御簾は布製の壁のようなもので、中から外を見られないようになっています。
つまり、中宮定子が清少納言に質問をしているとき、清少納言は御格子を上げて中を覗くことを許され、御簾を高く上げて中宮定子に対面したところ、中宮定子がその光景に笑ったというわけです。[2][3]
ただし、なぜ中宮定子が笑ったのかについては明確に記述されていないため、具体的な理由は不明です。[4][5]
人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほこの宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。
「そういったことは知っているけれども、詩歌をはじめとする表現にしても、それを思いつかなかった。それでも、この宮中の人にはそれをするべきだと思われる。」
この文は、物事を知っていることと、それを言葉にすることができることとは別であるということを示唆しています。また、「この宮の人にはさべきなめり」という部分は、宮廷に仕える人々には、知識や教養が求められることを示しています。
※平安時代に宮廷に仕える人々は、もともと高い教養が必要であったとされています。例えば、清少納言や紫式部といった人々がこのような社会的基盤の中で輩出されたとされています。さらに、彼らは出仕することによって、より高い教養を身につけていったとも考えられています[1]。
※宮廷に仕える人々には、漢詩や和歌などの詩歌に加え、天文・暦学、法律、儒教や仏教などの哲学的な知識が求められたとされています[1]。また、女性である女御や更衣にも同様に高い教養が求められ、出仕することでより高度な知識や技芸を身につけることができたと考えられています[1]。
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